第2期 現地視察

事務局の児玉さんの報告です。

4月7日(木)から2泊3日のスケジュールで福島県郡山市、南相馬市に行って来ました。  東北関東大震災より約1ヶ月の月日が経ち、ライフラインの確保であろう東北道の補修が進んでいるように見受けられた。

4月7日(木)八王子を出発し、約6時間で福島県郡山市へ到着した。その足で富岡町、川内村の方々が避難している「ビッグパレットふくしま」へ向かった。到着したのがお昼時ということもあり裏の出入り口には、食事の配給を待つ人で長蛇の列ができていた。中の様子は、エントランスに皆さん各世帯ごとにダンボールで仕切りを作り、そのスペースで寝起きをし、食事をとってらっしゃるようだ。各フロアのエントランスも同様だった。各フロアを回る中で、障害者の方に会えるかどうかくまなく探したが会うことができなかった。「ビッグパレットふくしま」の事務局に現状を聞いてみることに。事務局では、7割程度避難者を把握しているようで、避難者の選別なく受入れているので新しく避難された方についてはまだ把握していない部分がある。福島県全体の避難状況は、震災で避難し、原発で避難しというような流れで避難所を点々とすることが震災後あったようで避難状況を掴めていないことが各地でもまだまだあるようだ。


「ビッグパレットふくしま」から「郡山市社会福祉協議会」へ移動。郡山市社会福祉協議会では一時貸付金などで長蛇の列ができていました。担当窓口で市内の障害者の状況を聞いたのですが、まったくわからないという返答でした。足早に「オフィスIL」へ向かうことに。

オフィスIL代表の白石さんを中心に、岡部さん、宮下さん、杉田さんから郡山の現状を聞きました。「総合相談窓口」の開設、障害当事者の避難所から地域へ戻ってきてからの支援、「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の取り組み、郡山市に在住している障害者の名簿の開示を交渉しているなどの情報を聞きました。
4月8日(金)今日は朝から南相馬市にある「デイさぽーと ぴーなっつ」の青田さんにお会いしに郡山市を出発する。「デイさぽーと ぴーなっつ」さんは、第1原発半径20km~30km間に位置しており、そちらは屋内退避となっている。青田さんからは地震発生からこれまでの状況をお聞きすることが出来ました。南相馬市は原発問題発生時、大混乱に陥り、「バスによる退避」「ガソリン10リットル給付で各自家用車での避難」「留まる」これらがすべて自己責任と市から言われたようです。青田さんは「その当時、市のできうる最大限だった」と思うとおっしゃっていました。全人口7万人から6万人の人が避難されたようです。知的障害をお持ちの方で、避難している車中でてんかん発作で亡くなった方や避難所で亡くなっている方が数名いるそうです。

青田さん達は、細かなニーズを聞いているうちに避難しおくれて今にいたるようです。
今現在の南相馬市は、避難所から8千人の方々が戻って来られ、1万8千人の方々が生活をなさっているようです。この避難所から戻って来られた方々の多くは、避難所での今後の展望や肉体的、精神的に限界を迎えた方々がほとんどです。生活用品や食料品は地元のスーパーの人が東京や近隣の県へ仕入れに行き、お店を開け、そこへ買いに行き生活を皆さん営んでるようです。 「デイさぽーと ぴーなっつ」の利用者の多くは、知的障害者や重複障害者の方々で、その本人やご家族から再開して欲しいという要望をたくさん頂き、4月11日(月)より再開予定だそうです。なれない避難所生活より知的障害者や重複障害者の方々にとって、「いつものデイに行きたい」「仲間に会いたい」という気持ちの方が強く、「通いたい」という声をたくさん青田さんは聞いている様子でした。

その後、青田さんに案内をしてもらい、福島県浜通りの状況を見に行くことに。 沿岸部は想像を超えた状況で、「ヨッシーランド(高齢者入所施設)」、「火力発電所」などを車で見て回った。今回の訪問で被災地で起こっていることがよくわかった。それと同時に、今後どのような支援を行っていけば良いか新たな苦悩も出て来た。 しかし我々に退路はなく、進むしかないのだと強く心に思った。