被災地…救援…わたし…(被災地を訪ねて) その3

3日目(514日) 瓦礫が散乱する荒れ地と化した田んぼの中を…仙台

12時出発の遅めの集合だったので、午前中は単独行動で仙台駅の辺りを散策しました。駅の大きな建物はすっぽりと覆いがかかり、あちこちに補修中の囲いがありました。「がんばれ、東北」の文字が垂れ幕や看板、ビルの壁面のテレビから飛び込んできます。駅の中では、東北の物産展のイベントがあり、多くの人が群がっていました。朝市通りでは、威勢のよい呼びかけ声がとびかよい、活気にあふれていました。いつもの賑わいなのでしょうか。

-そんな仙台駅とは一変した亘理町荒浜海岸沿い。
-たぶん米どころの田んぼだったのでしょうが、あたり一面荒れ地に変貌。
-そして通行止めを避けながら、土ぼこりのたつ道路を行けるところまで車で走る。

-洗濯機が、テレビが、家財道具が点々と放り出されている。
-防風林の松の木も、根こそぎなぎ倒されている。
-小学校だ。何人もの子どもたちが津波にさらわれた校舎だ。
-瓦礫と化した建物だけが、広い広い荒れ地の中にぽつんとたっている。
-1階が伽藍胴となりで柱だけが残った家、傾いた家。
-泥で汚れたカーテンが風になびいている。
-この地に住んでいただろう人たちの生活のにおいが残っているだけに、心が痛む。


午後は、「被災地障害者センター たすけっと」訪問
「たすけっと」前の道路が陥没し補修中 そして入口のドアガラスが割れ室内もひび割れた

地震の傷跡の残る部屋で、井上さんのお話

  • 「たすけっと」で活動中に地震に遭遇。「たすけっと」から避難所に行く。ところが避難所は人であふれていて、とてもいることが出来ない。それでやむを得ず「たすけっと」に戻ることに。それから仲間と共に「たすけっと」で何日かをすごすことに。
  • 介助者も被災に合っており、介助者の数が足りなくなる。それでも、救援活動を開始。
  • 全国からボランティアが集まり、被災障害者の支援に回ることが出来始めた
  • 避難所の聞き取りや物資の配達などの活動をしている
  • 事務所の改修のまで手が回らないほど、やらねばならないことがある。
  • 更に、多くのボランティアがほしい。


私のメモから
*学校の体育館は、寒い・暑い 汚い トイレや手洗い場などは少ない 段差は多い。
--そもそも生活をするようには作られていない。
--これからは避難所としての機能をもつような設計がなくてはならない
*福祉避難所をさらに設置していくべき
*障害者が居宅している時の非難方法などをあらかじめ想定した対策がほしい
*ボランティアの数の確保はもちろんだが、公的に介助者を確保する手立てはないものか
*事務所が同じだったので、日常活動と救援活動とが混在しの大変さが伺えたが。


その夜は交流会
私は、この3日間で見聞きしたことで心も体もくたくた。2次会は遠慮することにした。